Kiki’s blog

29歳。非日常的日常であった思い出をブログで整理中。#インド #韓国 ...

「ごめん」も「ありがとう」も言わないのがインド流

最近、身の回りに起きている切ない出来事について勝手に考えてるKikiです。

 

 

そんな中で「生きる」とか、「生きやすい社会」についていろいろ考えていて、ふとインドで友人やお世話になっていた人に「ごめんも、ありがとうも言わないで」とよく言われていたのを思い出しました。それについて個人的に記録しておきたいと思います。

 

 

2015年から1年間インドで学部留学していた時期がありました。

人生で初めて異国の地に長期間住んで、そこで初めてインド生まれの友人たちと交流しました。

 

 

日本だと、歩いていて人に軽くでも当たってしまったときや、集合時間に遅くなってしまったとき、持ってくるはずであったものを忘れてしまったときなど些細なときにも、

「ごめん」といいますが、インドの友人はそれを好みませんでした。

 

また、それは「ありがとう」にも共通して、何かもらったとき、例えば何か奢ってくれたとき、自分の代わりに何かしてくれたとき(例:ついでのコピーやお菓子を頼んだとき)なども、時が経ち、仲良くなるにつれ、それを嫌がる友人がいました。

 

 

日本では当たり前だったりするから、ふと言ってしまうけど、

インドでは友人と仲良くなるとそういう硬いものをうざったく思われたりしました。

もちろん、どんな場合においても礼儀正しいのはいいことですが、

仲良くなってそれを言われると、他人行儀だと思われるのでしょうか。

 

インド留学中、いろいろな文化的差異に悩むことがありましたが、

これもその中の一つだったりします。

 

「親しき仲にも礼儀あり」の文化で育つと、なかなか「ごめん」「ありがとう」と言わないという選択肢を忘れてしまうので、インドにいるときは、なるべく言わないよう、そして、どのタイミングで言わないのかをよく考えていたものです。

 

でも、インド生活終盤では、今まで生活の中でこんなにも「ごめん」「ありがとう」と使っていたということに気づいた時、なんて疲れてしまう文化にいたんだと思いました。正直、留学後、日本に帰国して数ヶ月は些細なことには「ごめん」「ありがとう」をふと気づいたときにあまり言わなくなっていて、少し周りに怒られてしまいましたが・・・笑

 

 

どちらの方がいいのでしょうか。

「何でもバランスよく」という言葉をインド留学時代にモットーにしたのですが、

「ごめん」「ありがとう」を言い過ぎないのも言い過ぎるのもよくないですね。

 

日本はどれだけ気を遣えるかでその人間の価値というか、素晴らしさが計られてしまう感じがします。そして、その気を遣える、または察するというのは正直日本人の魅力でもあったりして、海外からも称賛を受ける能力だったりします。

 

海外生活約5年間、短くもあり長くもあった生活期間ですが、やはり日本人の友人と会うときに居心地よく思ってしまうのは、言わなくても通じてしまうとき。笑

 

日本語は高文脈文化に属し、英語は低文脈文化だからかもしれませんが・・・

英語だと全て説明しないと通じなかったりしますが、日本語だと主語も短縮できたりして、短く伝えられるのが魅力だったりしますね。

 

少し外れてしまいましたが、結局、何がいいかは、何が自分にとって居心地いいかで判断するかといいと思うんです。個人的にはわがままでいられるインドにいる自分が好きです笑 本当に何にも気を遣わず、(もちろん、相手を傷つけないという意味での)周りを気にせず自分の思いや意志をそのまま言える居心地いい空間がインドでした。

 

「わがまま」な「我が儘(わがまま)」でいられるというのは勝手だと日本では怒られてしまいそうですが、その方が健康寿命は伸びそうです。

 

 

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ガンジス川で死にたい老人の物語を描いた映画の一コマ。)

 

Kikiの勝手な思いを述べました。

それでは、また。